転職した話【part1】

さて、内田彩さんについて語るブログだったはずなのに、初投稿が転職についての記事となりました。

内田彩さんのことについてはまたの機会に書くとして、転職した経緯について書きたいと思います。

といっても殴り書きのような、愚痴のような取り留めのない記事になると思いますがご容赦下さい。

 

私のことをご存知の方は多いかと思いますが、前職はどんな会社で何をしていたかというのはあまり発信していなかったので、簡単にまとめたいと思います。

正直、私の待遇はかなり複雑かついい加減だったので、理解し難いと思いますが。

 

業種:某建築材料メーカー

職種:商品設計開発、品質管理、資材購買、工場作業員

勤続年数:4年

 

まず、どんな求人だったかというと、この会社は東京の会社なのですが、販売会社と製造会社でグループとなっていて、地元(新潟県長岡市)に製造工場がありまして、そこに併設する形で、本社として技術の新拠点を立ち上げるので、そこでゆくゆくはリーダーになれる人材を募集・・・といった求人でした。

 

ここだけ読むと、おお~将来を期待された有望な人材!と思われるでしょうが、これが悪夢の始まりでした。

結論から申しますと、

計画も方針もクソも何もなかった!!!!

こんなこといいな、できたらいいな、で採用されたレベルです。

 

とりあえず入社後の半年~1年は本社の技術部門で、設計開発の基本を学んでもらうということで、CADの使い方や、図面の管理、製品改良に伴う検証などに従事しておりました。

まあ最初なんて右も左もわかりませんから、言われるがままにこなしていただけですが。

 

3ヶ月程だったある日、

上司「君、来月から長岡行くことになったから」

私「・・・(′д‵)?」

私「向こうはまだ何もないですよね?私まだ設計的なこと全然できませんけど??」

 上司「・・・」

 

どうやら詳細を聞くと、

 

社長「トムソン君はきっと早く地元に帰りたがってるはずだから、早く返してあげなさいw」

社長:二代目のボンボン。夢見がち。60代。

プロセスマニアで、自己啓発マニアでもある。

ちなみに本社と工場どっちの社長でもある。

 

ということで、長岡に名前だけの部署を立ち上げ、無理やり別会社の工場の敷地内の一室に入り込み、そこで勤務することになるらしい。

工場といっても20人くらいの工場なんだけどねー(敷地はそこそこ広い)

 

仕事は本社の上司から振ったり、一日の半分は工場の仕事を手伝ったりするんだって。

本社に直属の上司が二人いることになってる。

そして現地の上司(ほぼ引退しかかってる75歳くらいの相談役的じいさん)が一人。

 

書きながらあまりのクソさに笑えてくる。

組織としての体をまるで為していない。

といっても、こんな処遇を受けていたのは私一人しかいないのだが。

 

まだほとんど知識もスキルも経験もない状態で、スパイのように一人送り込まれ、そう簡単に溶け込めるはずもなく、さらに重労働は多いし、労働環境も悪いし、クソみたいな日々が始まるのでした。

 

part2 へ続く・・・か?